月の取説

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月星座

ホロスコープを読んで、心のクセやら、求めているものが分かった時の安心感が、
感じていた不調に病名が付いたときの安心感と似ていると言ったら、いかに私が病んだ人間であるかが伝わることと思う。

わたしはもともと非常に不安感の強い子どもで、やっかいな凝り性もあり、そのくせ怠惰で浪費癖もあるもので、常に孤独感と無能感を感じて生きてきた。

人生振り返ってみれば、望むほどの結果が出せなかった、期待に応えられなかった失敗リストばかりがずらりと並び、心底肯定できるのは、子ども二人の存在だけだ。
子ども達の存在だけが、私に最後の生きる喜びを与えてくれているのかもしれない。


本音を言えば、私は努力などせず、ぐうたら暮したいのだ。
夢は、冬のない国のクーラーが効いた部屋で暮すことで、毎日海と空を眺め、ダラダラと韓流ドラマをみてゴロゴロ過ごすことである。

そこで頭の中にアラームがなり、
いやいや常に向上心を持ち、努力し、人様のお役に立ってこそ生きる価値というものがあるのだ、などど結果第一主義が顔を出す。

一瞬たりとも時間を無駄にしてはならない
人の役に立たねばならない
明るく笑顔で人に不快感を与えてはならない

これらが強迫観念のように、わたしを鞭打つ。
そして、それができない自分のふがいなさに、さらに無力感と劣等感を強くするのだ。
だから、それを打ち消すために努力する。

その繰り返しでぐるぐると同じ場所を回り続けているかのようだ。

ここの苦しみから抜け出すために、古今東西、哲学や心理学、文学に救いを求め、読書し、図書館では、そのあたりの隣の棚あたりに配置されている占いというものに興味をもつことになった。

私自身のホロスコープの月を眺める度に、自分のいつまでもいつまでも根に持つ性質強い不安感は仕方ない、病名をいただけたのだからと、病気ゆえに堂々と休暇を使えるかのように安心するのだ。

本人は病のように重く考えているが、他人様からみれば、誰しもが持つちょっとした心の癖程度で、日常生活に支障はないのだから、病気でも何でもないのだ。

それでも、月の取説を手に入れたように、嬉々として診断名を受け入れる私がいる。

松村潔先生の「月星座 占星術講座」に以下の文章がある。

月を対象化するには、月に飲まれているのではなく、月を見ている必要があります。わたしはこれを自分の中に犬が住んでいるのなく、犬を飼うのだと言います。生まれた時に月がどこにあるのかを、占星術でみることも参考になります。自動的に繰り返して、まったく本人が気づいていないものを知ることになるからです。

松村潔著 「月星座 占星術講座」 P,32 技術評論社

飼い犬が、いったいどんな性格をしていて、どんなことに気を付けてあげなければならないのか、知っているということが重要だ。

さみしがりなのか、ほっといてほしいのか、社交的なのか閉鎖的なのか、食べ過ぎやすいのか、運動が好きで毎日外にいきたいのか、アレルギーや持病はあるのか。

飼い犬の取説がホロスコープから読み取れるのだと思っている。

私の2ハウス蠍座の月は、経済的な不安に非常に心を乱されるし、自分ひとり完結では決して心の平安を得ることができない。

その点を、一生お付き合いしていかねばならぬ、やっかいな持病のように把握しておくことで、今日も明るく社会生活が送れるのだ。

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